2012/11/21

小さな別れ

私が幼少の頃を過ごしたのは大阪の下町,つまり典型的なベッドタウンで中心地のミナミから電車で20分程度離れた場所であった.

その辺りは治安こそ悪くなかったものの,周辺地域の貧しい人たちが数人混じっているような所で,世の中の闇の部分を子供の頃から目にする機会をいくつか持つようなこともあった.

近所に母子家庭の男兄弟が2人いた.その母親はどうやら夜の商売で生計を立てていたようであり,日中は家で寝ていたので,子供たちはほとんど放置されていたようだった.

小さな頃の話なので記憶も理解力も定かではないが,どうやらどこかで男の1人や2人もいたようである.彼らに「甲斐性」などというものはもちろんない.

家のすぐ近くに,子供たちが遊ぶには十分な広さの公園があり,キャプテン翼に夢中になっていた私は,その男兄弟ともたまにボールを一緒に蹴って遊んでいた.

サッカーボールが1つあれば,多くの子供たちが楽しめる.少なくともボールを追いかけている間,その兄弟もサッカーに夢中になっていたようで,端から見れば,私たちはよくいる元気な男の子たちのワンオブゼムであった.私たちの世代は「ボールは友達,怖くないよ」という大空翼の名言を誰でも知っているが,サッカーボールはまさに友達と友達をつなぐ生命線とも言うべきものであった.我々の間には,サッカーボールがあればコミュニケーションが取れたのである.

また,近所に陽気で優しいおばちゃんがいて,ある日の休日,午前にサッカーを終えた私たちはその男兄弟と他の友人1人,そして私の合計4人で近場のお好み焼き屋でごちそうになった.大阪にいた私にとって,お好み焼きは珍しくも何ともなかったのだが,その男兄弟がとても嬉しそうにお好み焼きをほおばっていたのが印象的で,その日はとてもおいしいお好み焼きをいただいたような気がしていた.気のせいか,陽気なおばちゃんの笑顔もいつもより輝いて見えていたような気がする.

そういった何気ない日常との別れは,しかし,突然にやってきた.

家から自転車で10分ちょっとの距離,幼児にとって,それはそれでけっこうな距離なのだが,そこに府営住宅があった.もちろんのことながら,府営住宅には経済的に恵まれていない家族が住むことになっているのだが,その府営住宅はけっこうな高層で,しかも屋上まで容易に登れるようになっていた.

そういう場所は経済的な理由からか,自然と飛び降り自殺の名所となっており,幼児たちの間にも,夜にその近辺を通ると「幽霊が出る」という噂で持ちきりであった.府営住宅に隣接している公園の街頭がうっすらと青白かったのも,その噂に拍車をかけることになったのかもしれない.

その公園には,周辺で一番大きな滑り台があり,私たち幼児はちょっとした冒険気分も兼ねて,週に1度程度の頻度でこの公園を訪れていた.ある日の夕方,私はよくつるんでいた1歳年上の友人とこの公園に遊びに来たのだが,公園の入り口が立ち入り禁止になっていたのに気づいた.

理由は明らかだった.そこには青いシーツがかぶせられた死体があり,辺りにはバケツに入れてからちりばめたような血液が一面に流れていた.仕方なく,私たちは帰宅することになり,家の近所を歩いていると,近所の主婦たちの井戸端会議が耳に入ってきた.

その自殺した人は,例の男兄弟の母親だったのである.

そのまま,私は男兄弟に別れを言う機会すら持つことができなかった.気がつけば,彼らはとっくに施設に引き取られた後で,彼らの家は既にもぬけの殻となっていたのである.家の玄関はがらんと開き,中に人がいる気配は感じられなかった.

彼らが今,何をしているのか,私には知る術がない.ただ,彼らのことを思い出す度に,自分はせめて自分の周りにいる人たちが幸せになれる程度の力は持ちたいなと考えることだけは確かである.

自分は少しは大きくなったのであろうか.

0 件のコメント:

コメントを投稿