2012/07/15

先生像というもの

大学の1年生から塾や予備校というところでバイトをするようになったので,「先生」と呼ばれるようになって随分と経ったことになる.

一応,下は小学校6年生の中学受験を志す年代から,上は大学生に至るまで満遍なく教えたことがあるので,経験豊富と言えば,経験豊富なのかもしれない.

そんなこんなで.

最近,いろいろと続けて昔の生徒さんたちからご連絡をいただきました.

ありがとうございました.

中には,小6の時に担当していた人もいたのだけれど,よく考えれば,彼らはもう大学も卒業して社会人になっている年齢なんですよね.自分も年を取るわけだ.(今の顧客さんたちより年上なのである)

高校生や大学生を相手にしていれば,彼らが大人になった姿の想像もつくのだろうけど,相手が小学生や中学の1,2年生だとその種の感慨もひとしおである.

なんとなく,親戚の甥っ子や姪っ子を見ている気分になる.

それと,私に憧れて教員になったとかいう人もいるのだけれど,正直,照れくさくなる.

自分は,英語やら入試問題の解き方やらを教えるのは,確かにそれなりの力量を持っていると思うのだけれど,一人の「教師」としてはかなり問題のある人間だと思う.

欠陥人間と言っても差し支えない.

それこそ,基本的には人格教育というものを期待されない大学教員だからこそ問題なくやれているのであって,私のような人間はあまり思春期の学生を相手にするものではないと思う.

まぁ,塾や予備校なんだったら「別にええやん」という話も通るんだろうけど.

その教員になったという人は,何事にも全力で取り組むタイプで,人間的にもかなり魅力的な人なので,冷静に考えれば,

「(教員として)今の君は,十分にあの頃の私を越えているよ」

と思うのだけれど,まぁ,幻想を抱いてくれているのだから,なるべくそれを壊したくはないものである.

きっと,彼女の受け持ちの学生さんの中にも「この先生でよかった」と思っている人が何人かいるに違いないと思うが.

思春期で感性も鋭いというのもあるのだろうけど,10代の頃は自分でも自覚できないくらい広く成長できる時期だし,受験だの何だのが絡むと,自分のエネルギーをありったけぶつけることになるので,私はちょうど,その頃に一緒に戦ってくれた戦友のような存在になっているのかもしれない.

身も蓋もないことを言ってしまえば,自分が大きく成長できたのは大部分が自分のおかげなのに,それを脇で見守っただけの私が凄い存在に見えているのかもしれない.

そうやって,できるだけ大きな幻想を追いかけることによって,学生というものは進歩できるものなんですよね.

いつまでも,若い人たち(できれば,子供)に見上げてもらえるだけの人間でいられればいいのですが.

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