2011/12/04

日本の組織論といじめについて

えげつなすぎる「いじめ」

いじめ問題に関する議論は尽きないが,同記事によれば,文部科学省の調査により,いじめはここ5年で4割減っているということになっている.(事実であるとすれば,素晴らしいことだが)

ホンマかね?

単に,いじめの件数としてカウントしていないだけなんじゃないの?

最近,日本という社会に関して,嫌気が差すほど実感させられているのだけれど,自己の所属組織に対して,それがいかなる問題を抱えていようが,その問題を指摘したり,克服しようとしたりする人間は常に「トラブルメーカー」として認識され排除される社会なんだなと思っています.

それは,例えば,福島県の現状に関して,決して楽観視できる状況ではないと言えば,

「被災者の気持ちが分かっていない」

「風評被害」

と罵倒される世情ともリンクしてくるし.

あれほど卑劣で愚鈍極まりない行為を繰り返してきた東京電力を否定するような言説も封じられているし,原発を考え直そうとしている人たちも「変な運動家たち」として認識されている現状からも伺える.

相撲協会でも,八百長を告発した力士や講談社が追い詰められた後はどうなったの?って感じだし.

一体,いつの間に「禊ぎ」とやらは終わったのだろうか?(ちなみに,私個人は相撲の八百長自体にはそれほど否定的ではない)

オリンパスの粉飾決算を解決しようとした社長も,会社を追われることとなった.そもそも告発などということをした人間は,今後の日本社会から排除されることになるのだろう.(彼はイギリス人だから,それもいいのかもしれないが)

いじめの件に関しても,それを指摘する人や,被害に遭ったないしは加害者の側の告白も,まず担任教員が取り合わないことが多いのだろうし,仮に取り合っても校長やら教育委員会のレベルで握りつぶされて「なかった」ことにカウントされているだけのことなんだろう.

人が集まれば何かトラブルは起こるし,そういったリスクをどうやって少なくして,それでどうやって対処していくかということを考える能力が,日本人には決定的に欠けているように思われる.

それは,その手のネガティブな結果について考察するということが,「縁起でもない」という名の下に忌避され,問題を解決しようとする姿勢が「和を乱す(和をもって貴しとなさない)」と認識され,毛嫌いされることになる社会の反映でもある.

この手の傾向は,海外体験がなく,より狭い自分たちの世界に閉じこもっている地方の人間に多いような気がする.

単に自分の所属組織が,そうだというだけのことなのかもしれないけれど.

海外にいると日本のいい点もよく見えたけれど,いざ帰ってきてみると,けっこう息苦しい社会だなと思う.

0 件のコメント:

コメントを投稿