2011/04/07

大学の死と光明

うちの大学でも教職は取れるのだけれど,要件の一つにコミュニケーション系ないしは演習系の語学の単位が必要というのがある.

履修ミスだとか,2年次以降に教職の単位を取りだした人たちは,普通なら2年次で履修する科目を4年で履修する必要があったりすることもある.

実は,私は本務校では再履の学生を除いて4年生を持っていないので,改めて思ったのだけれど,就職活動って本当に邪魔ですね.

本来なら,学生の本業とは関係ないのだから,「就活なんて知らない.大学に来なさい.来なければ普通に欠席と見なす」という強引な態度に出るべきなのかもしれないし,実際そういう先生はどこにでもいるのだけれど,学生さんたちの置かれた状況を鑑みるとそういうわけにもいかない.

だいたい,就活に行かないと,卒業後に路頭に迷う羽目になってしまうし,今年度からは,文科省の強制で,「キャリアデザイン」なるものを大学の教育に取り入れないといけなくなってしまった.

平たく言えば,文科省が「大学とは就職予備校のことである」と公言してしまったわけですね.うすうす気づいていましたけれど,日本の大学教育はお上に「死」を宣告されてしまいました.

残念ながら,この国にアカデミズムが根付くということはなかったらしい.

しかし,それでも全てを放棄してもいいことはないので,現状とすりあわせてどこかで妥協できるポイントを探さないと,何より現場の学生さんが不幸になってしまう.

現場の要望とお上の無理難題の中間点を探って,「まー,まー」と気を遣って神経をすり減らすのが中間管理の人間のお仕事.大学人なんてそんなもんなのかもしれない.

というわけで,4年の学生さんたちには,事前連絡をしている時のみ,欠席を配慮し,ただし,追加課題をこなして,オフィスに何度か足を運んでもらうということで納得してもらう.まぁ,せっかく勉強するんだし,何か「やったな」という充実感の一端くらいは掴んでもらいたいものです.

しかし,一方で.

大学の中には,国家資格の試験を受けてから就職活動をする,つまり,世の大半の就活の時期にあたふたして,せかせかして,大学教育をほっぽって,ということをしなくていい学部の人たちもいます.

うちの大学にその手の,栄養士なんかを育てる学科があるのだけれど,ここは年明けの国家試験に受かって,その後,卒業してから就職が決まることが多いという学科があるのだけれど,ここはちゃんと4年生の期間を大学で集中して過ごすことができるみたいです.

それと,この学科にもゼミがあるのだけれど,いろいろおもしろいことをしています.

去年も書いたと思うのだけれど,葡萄の栽培から始めて,ワインを生産して売るということをやっているゼミがあるのだけれど,おもしろい企画だと思います.

食物関係の仕事に就くのなら,生産の仕事,それを仕上げて,流通させるという一連のプロセスはぜひ知りたいところだろうし,理論と実践の両方が勉強できる.

しかも,毎年売り切れるので,利益が上がるのだけれど,今年の分の利益は例の震災の義援金に回すとか,教育機関としての役割も果たされている.

学生さんとしても,自分たちがやった一連の仕事で,人の役に立つことが出来たという充実感が得られるし,一石三鳥といったところでしょうか.

まぁ,主催者の先生によれば,最終的にはみんな楽しそうにやってくれるらしいのだけれど,最初の葡萄の栽培の段階では,農作業を嫌がる人たちも多いので,やってもらうようお願いしてetcという部分がもの凄く大変だそうです.女の子たちを扱うのって,本当に難しいですからねぇ.

誰もが見とれるイケメンさんなんかだと,仕事が楽でいいんだろうなと思うことは,時々あります.

でも,そういうのに頼ってしまうと,「女は子宮でものを考える」という風評に一役買ってしまうことになるのではないかとも思ってしまう.

ジレンマ.

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