2011/01/19

レキシコン vs. シンタクス

えと,4月にお星様の大学でやる授業のreading assignmentに,内容,英文の明晰さ,分量ともにちょうどよかったので,ピーターの『現代の文法理論』(とは言っても,書かれたのは80年代ですけれど)のchapter 1を採用しようと思っているのだけれど,ちょっとおもしろい箇所を見つけました.

"In general, the elements of the lexicon are what we might think of  as words, although different syntactic theories have slightly different conceptions of what a `lexical item' is, and so it is not always safe to think of the lexicon as just a stock of words." Sells, 1985: 13

この箇所は,まさにその通りで,現行のminimalist syntaxの前提に立てば,おそらくlexiconはnumerationに入っている素性の束という以上の定義のものではなくて,affixやらsuffixといった形態論という分野で扱っている要素も,全て基本的にはコンピュテーションの作用ということになる.

極論すれば,lexiconという独立した部門はなくて,従来のGBなんかで扱われていたlexiconの仕事は全てsyntaxで扱われることになる.

これで,(大きな意味での)シンタクスの一部門が排除できるのだから,理論のメカとしてもすっきりするし,従来,argument structureという形で扱われていた現象も全てverbal structureに還元できれば,それはそれですっきりしてよろしいのである.

しかしながら.

英語や日本語などの対格言語なら,所謂,「主流」と呼ばれている現行のsyntaxのメカでもどうとでもなるのだけれど,単純な話,能格言語の記述になると,ちょっとめんどくさくなってくる.

単純に考えれば,small vがaccusative verbの素性の出所で,accusative caseをcheckするという部分を,能格用に変えてしまって,さらにTP-specにある要素をなんらかの形でagreeのchecking domainに入り込むような形にしないといけなくなってくるわけですよね(multiple TPを仮定したらできんことはないか.って,ややこしくてすまない).

c-commandの方をいじくりたくはないしな.

まぁ,理論内での話だと,これはこれで一つの重要なissueではあるのだけれど,その手のissueはさておき,能格言語に見られる格変化なんかを,ひとまずきっちりと記述するという仕事も,もちろん重要だと思う.

言語学が経験科学であり続けようとするならば,この仕事を怠けていてもいけない.

ただ,そのためには,syntaxというのは,意味と音声を構造を介して仲介するシステムであるということを念頭に置きつつも,ある程度,割り切ってレキシコンという道具を使ってもいいんじゃないかとも思う.(この場合,シンタクスがレキシコンを吸収するのではなくて,レキシコンがシンタクスを吸収し,それがシンタクスという名を踏襲するというワケ分からんことに.まぁ,所詮,記述の道具だ)

なんて考えていると,能格言語やら,スラブ系の言語やら,スカンジナビア諸語の現象も,minimalistのメカでどうなるかとかいう理論内部の話とは別に,これら多種多様な言語に観察される共通の特徴というものを抽出し,bottom-upな形で理論を構築しようと思えば,語彙論のメカを使うこともありだな,と最近,思い出してきた次第(流されやすい奴である.もしかすると,哲学がないのかもしれない).

top-downに理論のことを考えるのも好きなんだけど,それより先に,人間言語のオプションの一つとして許容される文法現象を,より包括的な形で総括していく仕事もやらないといけないな.

自分の頭の中で浮かんだお伽噺よりは,データに理論を語らせるような研究ってやつを.

0 件のコメント:

コメントを投稿