2011/01/08

教科書を選ぶ

えっと,1月や2月にドタバタで新任の先生が決まることもありますけど,だいたいどこの大学も新年度の始まる年の1月にはシラバスってのを書いて,教科書を選定することになります.

イギリスやアメリカのように組織的で横断的なカリキュラムだといいのですが,なんだかんだで日本の大学は個々のインストラクターに授業編成を託されているので,自分のやりたいことができる反面,他教科と相互関係が築けないのはデメリットですね.

この辺りの編成なのですが,北海道大学なんかだと,外国語科目はどのセメスターのどの科目で大まかに何をやって欲しいかといったようなことが定められてあるので,けっこう感心する.

定められた制約の下で仕事をするのは面倒くさい反面,他のインストラクターとコンセンサスができるので,特別変わったことをする先生がいない限り,ある程度統一的なカリキュラムを構築することが可能になる.

これは来年か再来年辺りに,うちの大学でも導入していきたいのですが.

去年ははっきり言って,教科書からやる内容から何も分からないし,しかもシラバスを書く時間的余裕もなかったのだけれど,今年は自分の勤務校の授業もきちんとやらないといけない.

大学の講義といえば,学生との真剣勝負で,学生もインストラクターも徹底的に授業準備をして,できない人間は基本的に放置という方針で,まぁ別にいいと思うのですが,それはあくまで専門科目の話.

一般教養や語学というのは,あくまで大学で物を考える基礎体力を養成するもの,スポーツで言えば走り込みやウェイトみたいなものなので,考え方を変えないといけない.

難しい.

まず,北海道という地域特性のせいかもしれませんが,学生間の格差が非常に大きい.

うちでいえば,首都圏や関西圏の名門女子大から,ちょっと残念な女子大までをまとめて一つにしたような雰囲気があると言えば,想像はつくでしょうか.

それと,受験産業も発達していないし,特別「進学校」と呼べる程の高校もないので(個人的に,札幌南高校みたいなところは好きですけど),幸か不幸か開発されていない学生さんは多いと思います.

そういった人たちに,「考える」機会を提供する役割が自分にはあるんじゃないかと勝手に思っています.(たぶん,大学としてもそういう役割を期待していると思うけど)

正直,こういうのは「雪かき仕事」みたいなもので,やりたくはないけど,でも誰かがやんないと仕方がない雑用なんだろうなと思う.

英語を自分で勉強してみようかなと思う学生を数人作り出して,「先生」という存在は絶対的でも何でもなくて,入試問題でもなければ「正解」なんてものは世の中にはなくて,ものごとの側面を多角的に見て,いろいろな考え方を相対化させる知性の基本を養うこと.

という視点を持っていろいろ考えてみると,とりあえず今,流行のTOEIC関連の授業はやっぱヤメだな(苦笑).やりやすかったんですけど.

それと,日本の大学教科書出版の多くを見てみると,内容も中身も薄っぺらいのが多いし.

基本的,簡単,でもちゃんとvisionを持って教科書を作っているという会社って少ない.

でも,数点,いいのを見つけました(洋書なんですけど,でも,中身は難しくないはず).あとはこれにプラスアルファしてオリジナル教材でカバーすればいいかな,と.

最後は個人的に力を入れたい,某プロテスタント系のライバル大学の専門科目.

うちはカトリック校で,英文科は北海道ではちったぁ知られた名門学科だったんですけど,15年前くらいにここに抜かれて,今は後塵を拝しています(苦笑).

宗教的にも大学間競争的にも,あんまり力添えするのは経営的にはよくないかもしれませんが,何せ学科の専門科目,3-4年の言語学系の看板科目をやらせてもらえるので,全力で,自分の所属組織をぶっ潰す気持ちでやらせてもらいます.やっぱり,自分のセールスポイントにしたい部分を評価してもらえたのはありがたい話だと思いますし,その恩義には報いたい.

ばりばりのsyntaxをやっていいという話だったので,もうすぐ出るカーニーの本でも使おうかなと思ったんですが,なんか発売が延期でいつ手に入るか分からないとかいう状態みたいなので,教科書なしのreading packet(専門論文の抜粋集)でやっていこうと思っています.

テンション上がるわ(バイオも混ぜたんねん).

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