2010/12/15

どうにかしたいのだが

距離を取るべきだという見解があるのは認めるつもりなのだけれど,学生さんたちと近い距離で話していると,本音の意見がいろいろ聞けるのは大きなアドバンテージだと思う.

女性なんかだと,打ち解けすぎると,あまりに歯に衣着せぬ発言を連発してしまうので,少々おっかなびっくりな気分になることも多いのだけれど,でも,上辺のアンケートだのなんだのを見て自己満足に浸っていても別にいいことはないと思うので,私はこの距離感でやっていけるならしばらくやっていこうかなって思います.

教員同士の会議の発言なんかを見ていると,「学生が学ばない」だとか,「学ぶ姿勢がなってない」だとか,「能力がない」だとか,「言っても分からない」だとか,批判する発言は枚挙に暇がないのだけれど,なんだかどれにも釈然としない感覚がある.

確かに,少数のちょっと扱いにくい人たちがいるのも事実だし,最初から面を上げて積極的に全てを吸収しようとかいう姿勢の学生がいないのは事実だし,そういうのが理想なんだろなとも思う.

でも,日本全国というか,世界を見渡してもそんな大学ないと思います.

たぶん.

うちのような地方のちょっといい大学程度の水準だと,ついつい東大や京大,早慶上智に旧帝大なんかを夢想して,その手の名門大学にはそういった理想の学生が溢れていると考えている人たちがいるみたいだけれど,それは誤りだと思う.

この種のレベルの高い学生だと,まずインストラクターの水準をシビアに評価してくるし,それこそちょっとでもまずい授業をするようだと,全然話も聞かないで,インストラクターを見下してくるくらいのことはしてくるものである.

自分たちがそうだったので,それくらいは分かる.

最初から露骨に単位稼ぎのためだけに受講してくる学生はともかく,専門の授業になれば,基本は真剣勝負である.こっちがしょぼい授業をしていても目をきらきら輝かせて,「素直に」聴くような学生なんざいないと思われる.

でも,別にこれは悪いことではなくて,教員も常に試される立場にあるわけだから,その程度でちょうどいいと私は思います.プライドだけが専攻して,若気の至りで実は優秀な研究者をバカにする学生もいることは事実だけれど,この程度の弊害は人間と人間との関係なのだから別にあってもいいんじゃないかと思う.

視点を変えて.

読み書きのレベルからして怪しい,もはや「大学」という水準にない大学は,まぁ,「しゃーない」って感じはします.確かに.とりあえずは,社会にまっとうに出られるだけの訓練を施すことができれば御の字かなと思われます.

そんなレベルに比べると,うちの水準なんて高いもんだと思うし,素直でいい学生がほとんどだし,知的レベルも,現在の水準では確かに高くはないかもしれないけれど,ポテンシャルを秘めている学生さんはけっこうたくさんいるという手応えはある.

この大学で,学生さんたちに注目してもらえるような講義ができないとか,話を聞かせられないとかいう人たちは,正直,能力不足なのかなと思います.

果たして片手で数えられる程いるのかも分からないような,突出した研究能力を持った人ならまだしも.(ちなみに,うちで研究水準の高い人は,授業の評判もよろしいです)

なんか,うちの大学で教員が「素直な」学生が欲しいとかなんとか言っているのは,無条件で自分の言うことに付き従う奴隷を求めている人たちのわがまま勝手にしか聞こえないんだよな.

そんなことを考えることがちょこちょこあるので,うちの授業に絶望しているというか,達観した感覚を持っている学生さんたちを見ていると,ちょっと残念というか,申し訳ない気持ちになってしまう.もっと「ぐい」っと,引き込む感覚を与えられる機会を提供したいという思いがひしひしとしてしまう.

「授業なんて適当でいいし,学生の顔色を伺っているのなんて三流のやることだ」というのは,なぜか大学教員の間ではわりと主流を占めているかもしれない「常識」なのだけれど,なんだかなぁと思う.

うちの学部の,他の学科の教員さんたちで,いい評判を聞く先生はちょこちょこいらしゃいます.そういう話を聞くと,ありがたいというか,ちょっと嬉しくなるのだけれど,実はうちの学科の教員で「これ」という話って,ほとんど耳にしないんですよね.

まぁ,組織上の学科教員でしかない私がこんな考えを持っていてもなぁんにもならないんですけど.

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