2010/11/20

評価される立場にあるということ

えと,今日は休日出勤でした.

所謂,入試ってやつですね.最近の私立大学の入試では,青田買いとでも申しましょうか,推薦でできるだけたくさんの学生を囲っておこうというのがけっこう一般的になってしまいました.

この時期から入試までの追い込み期間で,どれだけ学生の学力が伸びるのかというポテンシャルを考えれば,この種の入試制度の弊害やいかばかりかと思うのだけれど,そんなことも言ってられんみたいですね.

文科省辺りが強制的に,入学定員の何パーセントまでしか推薦で取っちゃいかんとかいう規則を,リーダーシップを発揮して制定してくれると,非常にありがたいと思うのだけれど.(最近の大学生の学力低下問題とやらに,一石を投じられる政策になると思う)

この辺は,大学も企業の就職活動について,あまり文句を言えた立場ではないなと自戒の念を込めて考えてしまうところである.

そんなこんなで,いろいろと面倒くさかったのだけれど,壮絶な自己矛盾を平気で主張する,大学教員さんたちも楽な商売やな,とちょっと突き放した目線で見るような機会があったり.

それはまぁ,別にいいのだけれど,自分のことは棚に上げて,学生さんをバカにする態度ってのはいかがなものかと思う.

自分が公表して恥じることのない学歴・業績を挙げている,立派なindependent researcherならまだしも,外部から批判・批評されることをずっと拒み続けているような人たちが,よくもまぁ,こんなに自分のことを棚に上げて学生をこき下ろせるものだと感心してしまう.

全然,批判されることも,評価されることもなく,年々なんとなくやっていれば給料が上がって,地位も安泰で,教育者という名の下に好き勝手やっていった成れの果てってやつなのだろうか.

「先生,先生」と持ち上げられていれば,そりゃ気持ちのいいものだろうし,自分が評価される機会がないというのが気楽なもんだというのは,分かる.正直,ずっとそういう状態でいたいという気分がないわけでもない.

しかし,自分が独り立ちした研究者という立場を与えられている以上は,自分の業績は常に人目にさらされ,批評され,批判されるべきだと思われるし,自分で自分のことを「俺はえらい」と思った時点で,生きていく価値はなくなるのではないか,と私は単純にそう思う.

それより何より,今の自分の知識や能力程度で高評価され,持ち上げられることの方にこそ危惧を感じる.もっとはっきり言えば,「気持ち悪く」思える.

自分がこれまで会ってきた多くの優秀なlinguistsを目の前にして,「俺は凄い奴なんだぞ」と言える気概なんて私にはない.自分には,かろうじて自分が「たいしたことない(バカだ)」と認識することができる程度の知能があるというだけの話である.

もっといろんなことを知りたいし,もっと賢くなりたい.

こういう気持ちが自分の中にある間は,自分にも生きるだけの意味があるのだと思うし,そう思えないようになれば,研究者としては「ジ・エンド」であろう.第三者の目から見て,今の私程度の実力で満足している奴がいたとすれば,誠に見苦しい.

話を戻して.

自分が評価されうる立場だということを忘れ,学生さんを罵るような言動は,せめて自分に関しては強く戒め,今日のできごとは他山の石としたい.

まぁ,自分はどの段階の学生さんを相手にした時にも,頭ごなしに見下すようなマネは,今までもしてきたつもりはありませんけど.

「アホ,バカ,こんなこともできない(わからない)のか」といった発言だけは,一度もしたことはないです.

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