2010/05/09

外国語を一般的な学生に教えること

いわゆる,英文科や外国語学部のような,ほっておいても外国語をがんがんやってくれる人たちや,専門科目に移行した時に論文を英語で読まなきゃいけない,書かなきゃいけないという人たちに英語を教える時には,「なぜ英語を教えるのか?」という疑問なんて考えなくてもいいし,それに学生さんたちのモチベーションもそれなりに高いだろうから,あまりめんどくさいことは考えないで,それこそ予備校のノリでがんがん授業を進めていけばいいんだろなってことは想像に難くない.

まぁ,それでもそんなに本腰入れてやらないというのが人間なんだと思うのですが.(last minute's person ....)

一方で.

そこそこの知的水準なのだけれど(ちゃんと「大学生」と呼べるレベル),卒業用件単位以外の理由でそんなに英語を勉強しなくていい人たちに語学を教えるのはなかなか難しい問題でもある.

だいたい,自分はいわゆる「一流大学」ってところを出た人間ですけど,それでも語学の授業なんてまじめにやっている人はそんなにいなかったです.自分も「単位とれればいいや」って感じだったし.

そんなこんなで,テスト期間でもないのに予習・復習を前提とする授業を組み立てると崩壊する可能性大です.うちの学部は実学志向でいろいろと免許が取れるので,厚労省辺りの用件がうるさくてそっち方面の授業がやたらと多くなってくるし(というわけで,学生さんたちの時間割はけっこうきつい),それにこのご時世,バイトもしないといけないのだろうし(それに,いい出会いも大学外でいろいろとあるでしょうし).

というわけで,私は特に予習なんかを要求しないで授業中に演習問題を解く時間をあげて,そんでもってがんがん机間巡視して,いろいろとアドバイスしながら,自分の頭を使って英語を考えるという作業に没頭してもらうようにしています.

大学の授業で寝るとか,ぼけーっとするとか,なんかもったいないですよね.寝ることを許容する先生なんかもたくさんいますけど,せっかくお金払って大学に来ているんだから,授業中に頭を働かせて,授業中にいろいろ考えて,授業中に記憶を定着させればいいじゃんって思います.インストラクターがいて,それでみんなで一緒に考える,と.頭を動かすのと体を動かすのって同じようなもんで,自分でやらないと全然身につかないですよね.

個人的に,きれいなノートを取るor取らせることに興味はないです.そんなもん,頭の中に入れればいいのであって,ノートなんて手段の一つじゃんって感じがする.あたしゃ,学生時分の頃からノートを取るのは下手っぴで,必要な知識の大半は授業中に仕入れて,メモ書きを教科書・テキストに書き込むという勉強方法で生きてきたので,『ノートがどうの」と言う気はさらさらありません.

はてさて.

そんなこんなですけど,語学の授業って継続が大事で,ある程度練習量を増やさないといけないのだけれど,そんなに毎週英語ばっかりやっている学生さんたちを相手にしているわけではないので,「英語を身につける」という目標は最初から諦めています.

ただ,授業を通して「自分でいろいろ勉強してみようかな」と思う人が一人でも増えるきっかけになればいいなって思います.

それと.

外国語をやっていていいことの一つに,「発想を転換する」という思考法を身につけることができるということがあるかと思います.

人間なんだから,どこでも一緒ということもたくさんある一方で,何をおもしろい,何をうれしい,何にいらつくか,といったような価値観は多種多様で,自分が普段「当たり前」だと考えていることが違うのではないか?という問いをぶつける契機になる機会をたくさん提供することができるのは,大きなアドバンテージだと思います.

こんなことがあって,あんなことがあって,基本,雑談みたいなノリで喋っていますけど,「違う」価値観を考えることで,自分が今まで築いてきた価値観に揺さぶりをかけさせるような機会.

そういう機会を提供する授業ができれば,教養科目としての役割は一応は果たせたと言えるのではないかなって思います.

ま,いろいろ工夫して,楽しんでもらいたいなって思いますけど.

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