2010/04/13

宗教の力

私の勤めている大学は, ドイツの宣教師さんたちが開祖だったのです。

彼らは, 純粋に教育システムを構築するという理想の下に, わざわざこのような極東の果てまで来て, 学校を作り上げることになりました.

戦時中などは, 同盟国なのにも関わらず, 文部省(当時)から理不尽な扱いを受け, 様々な困難に直面しながらも, 巧みに大学経営を行ってきて今日に至っています.

まぁ, 歴史上, 大学の起源(universityという語源に限れば)はイタリアのボローニャ大学, そしてイギリスのオックスフォード大学が最初ということができると言えるのだけれど, 神学が主要な研究科目であったことからも分かる通り, 聖職者の養成が主要な役割であったわけです.

というわけで, 修道院に勤める人たちは, 知識人でもあったわけです.

宗教にネガティブな側面が多分にあるということはもちろん否定しないわけだけれど, 一方でナイーブなまでに使命感やアカデミズムの誇りを持っていた修道士たちも数多くおり, そのような無償の善意によって成り立っている大学機関が私の勤め先です.

「神」というものを語るとき, 度々その存在基盤が否定的に議論されているのは太古の昔から変わりません.

恐らく, 観察可能な具現物としての神は存在していないと, 私は思います.

かといって完全な無神論者というわけでもなく, 「神」の存在という共同幻想を抱く人たちが一定数いることによって, 「神」の存在が担保されることがあるのは間違いない事実である.

人という生物種は, ある種の存在を共有するとき, つまりある種の形而上的概念を「事実」であると認識することによって, その手の抽象的概念を具現化し, 実際に目に見える形で現実世界に対する影響力を及ぼすようにする能力があるわけです.

これは「法」や「経済」といった社会科学的基板になる考え方の一つであり, 「神」の存在も, 実際に観察可能な具体物として存在していなくとも, 新たに創造し, 生み出すことが一定数の思想を同じくする人間たちによって可能になることがある。

「神」という絶対物を想定することで, 人間社会の秩序を保ち, アカデミズムは人間の尊厳・誇りに関わるものであるという幻想を保ち続けることができるのであれば, 「神」という存在を私も信じても, 騙されてもいいかなと思うことがある。

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